いちまんのいいことば

すてきなことばあつめました

やっぱり何か感じることがあったら、何かを手放してもやってみたほうがいいと思っています。

安定とか安全を求めることは誰にとっても自然なことだと思います。ただ、安定とか安全は、結果的に危険な道にいくことがある。安定や安全を求め過ぎて何も手放さないと、どんどん行き詰った道にはまっていってしまうと思います。

(中略)

そもそも絶対に安全な場所なんてないんだから、知らない場所に行っていろんな人に会って、そこから学んで、少しでも自分が生き残れる力を身につけておきたいと思っているんです。

 

──川村元気(「リクナビNEXTジャーナル」より)

 

思う存分やってみたいことに出会うのは難しい。四半世紀以上生きてるけれど、人生かけたいレベルでやりたいことに出会った記憶はない。別にやりたいことが全くないわけじゃないけどね。

とはいえ、それが安全な場所にいたいがためのブレーキがあるせいかも、と言われるとそうかもしれない。それぐらいの感じで自分の欲求に鈍感な気もする。心の動きってふわふわと捉えどころがないから、自分でもよくわからない。

年齢的に、仕事でどんな方向に進むのかみたいなことを考える機会と聞かれる機会が増えてきて、そのたびに何がやりたいんかなぁ、って考えるんやけども、なかなかまとまるもんでもない。

言われたことやってるだけじゃどうにもならなくなってくるのは分かってるんだけど、打開策を考えるのも難しい。

個人的には、ちょっとした心の動きに敏感になって、それに従って動くしかないって思うんだけど、その動きを捉えるのも、難しいもんなんだよな。手詰まり感。

 

 

世界から猫が消えたなら (小学館文庫)

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彼らが失敗というものに圧倒的に慣れていないからだ。失敗は成功のもとといつも考えられる人はまだまだ少なく、失敗に対する世間のイメージは依然として悪だ。

学生のときは失敗に臆病でもやってこれたかもしれないが、ビジネスの現場へ出るのであればその考えを変えないといけない。ビジネスで求められるのは打率ではなく、ヒットの数だ。打率5割の優等生が1回打席に立つ間に、打率1割の凡人が100回打席に立てば、10倍勝つことができる。だが、これも言葉では理解できるが、そう簡単には動けないものだ。

 

──柊ユウ(id:pjomotesando)(「PJ表参道」より)

 

どうにも失敗してしまえばそれで終わりっていう感覚が拭い去れない。

一度の失敗ぐらい、その瞬間笑いものになったり、ちょっとガッカリされたりするぐらいで、広い目で見れば大したことないのにね。もちろん、一か八かで失敗したら終わり、っていうチャンスもあるけれど。でも、それも現代日本でだったら、死ぬわけじゃあるまいし(笑)

と、理論的に考えたらわかるのに、行動に移す時には尻込みしちゃうってどうしようもない。理性と感情ってどうにも別なんだよなぁと、自覚せざるをえないよね。まぁ、だからナンパしろって言われても、まずナンパするのに必要な勇気が足りないって人が多いと思う。

とはいえ、それではいつまで経っても変わらないから、なんでもいいから失敗を恐れてやりたくないことを一つ、やらざるをえない状況に追い込まれて見るのもありかもしれない。

私は先日、集客して開催する系の飲み会の幹事を初めてやって、人数調整とかやっぱり上手くいかなかったけど、おかげで人数決まってる系の飲み会幹事は結構余裕な気分になってる。やらざるをえなかったから、やっただけなんだけどね、どっちも。

要は経験なので、逃げてばかりいないで、失敗しても痛手の少ない時にやってみるのはいいですよ、ほんとに。

 

 

人間の生き方に、正解なんてないんだよな。

どこで暮らそうが、どんな仕事をしようが、誰と一緒になろうが、どれだけ偏った思想を持とうが、全部個人の自由だ。法律やルールを守った生き方であれば、他人がとやかく言うことじゃないし、ひっちゃんのケースだって、本来なら俺がいちいち口を出すことじゃない。

 

──相原恵太(『神様もう一度だけ愛してると言わせて』より)

 

籍を入れたその日に死んだ夫を思って一人を貫こうとする瞳。そんなのは死んだ彼も嬉しくない!という流れでの台詞なので、ちょっと尻切れトンボですが。

 

本人が幸せならば、どんな生き方をしていても、他人がとやかく言う筋合いなんてホントは一切ない。ないんだけれど、相手の生き方が自分にとってはとても幸せで無いような状況だったり、自分が想像もしなかったような生き方をしていたりすると、どうにも口を出したくなってしまう。

それは、相手を思いやってのこともあるし、妬ましさから来ることもある。まぁ、人間だもの、すべてを合理的にすることなんてできやしない。

それでも、他の人に口を出す前に、ちょっと己を振り返って欲しい。自分はどうなのか、と。自分は自分が幸せだと思えるような選択をできているのか。不幸せなのに何の解決策を考えてもいないなんてことはないか、と。

自分よりも他人って言うと聞こえはいいけれど、まずは自分でしょ。自分がある程度の余裕があるくらい幸せでないと、本当の意味で他人を思いやることなんてできやしない。切羽詰まってたり、どん底だったりしたら、どうしても態度にトゲが出てしまう。

まずは自分が他人にどう言われても今が本当に幸せなんだ。そう思えるようになっていかないとなのだよ。

 

私も精進せねば。

 

 

自分が思う「らしさ」が、実はよそから借りてきた単なる空想にすぎないからである。

リーダーとは強い統率力と素早い判断力を持ちみんなから尊敬されるものである、なんてのは状況によってはまったく通用しない。

父親だって、夫だって、なんだってそうだ。

その人なりの答えが本当はあって、それを見つけ出すためにみんな四苦八苦してるわけである。

 

──いぬじん (id:inujin)(「犬だって言いたいことがあるのだ。」より)

 

「~らしい」よく聞く言葉である。女らしい、男らしいが一番、遭遇頻度は高いのかな。女の子らしくおしとやかにしてなさいとか、男らしくナヨナヨしないとか、定番のワードっていくつかあるよね。

なんだか、その定番ワードに反することをしていると、途端に自信を失うみたいな感覚は何なんだろう。女なのにおしとやかにできないんだけど、私、女失格?と思うことはちょいちょいある(が、しぐさを直せる気はしない)。あと、大人なのに自己管理できないとかもあるかな。睡眠時間とか感情とかコントロールできてない部分はいっぱいあって、それが大人らしさからは遠い気がしてしまう。

でも、そんなの無視だ無視。どうしてもこれが一般的って言われると、そうじゃない自分と比較してヘコむ瞬間はあるんだけど、だけど、人は人、私は私って言い直せるようになってきた。

日本人的な横並びじゃないとどうにもムズムズする感じは仕方がないことにして、でもやっぱりそんならしさ、自分には関係ないって思い直せる力って大事よね。

 

 

やりてえことを、やりてえようにやって生き、そのうち死ぬ。そんな暮らしがおらはしてえ。

食いてえから食う。寝てえから寝る。抱きてえから抱く。殺してえから殺す。何にも縛られねえし、誰にも従わねえ。

(中略)

楽しくねえことはしたかねえ。嘘をついたり、約束を破ったり、後味が悪いこともしちゃいけねえ。心に負い目を持っちまったら、猫のようには生きられねえ

 

──ハンス・ハンプティ(『六花の勇者 archive1』より)

 

自由気ままに生きる殺し屋の言葉が、人生の参考になるか分からんのだけれど(笑)

したいことをしたいままやれる猫みたいな生き方って羨ましいなって思うし、生まれ変われるなら猫がいいな思う時もある。

とはいえ、少なくとも現代日本に生きている限り、すべてをやりたいように出来るなんてことは有り得ない。仕事は好きなようにやっていても家庭では我慢するところがあったり、逆に仕事は窮屈にやっているけれどプライベートは好き放題だったり。自由にワガママに生きているつもりでも、ちょっともやりたくないことをしていない人なんていないんじゃないかな。

だからって、悲観するのも間違ってて、なるべく自分が幸せでいられることを選んでいく。ラクに生きられる方法を探っていく。その努力を怠って、苦しい苦しい言うばっかりってのはあんまりにもお粗末じゃないですか。

 

六花の勇者 archive1 (ダッシュエックス文庫)

六花の勇者 archive1 (ダッシュエックス文庫)