“諦める”という気持ちがあるってことは、それだけ私は行きたいってことなのだと気づきました。
運悪く当日は高校の三者面談や他にも用事があって、今回は諦めるしかないかと思ったのですが、“諦める”という気持ちがあるってことは、それだけ私は行きたいってことなのだと気づきました。緊張で何も話せないかもなんて思っていたのに、自ずと答えは出ていたのですね。
──小林智子(「藍玉スタイル」より)
記事の本題は手帳オフ会のレポなのですが、参加に当たっての葛藤でピピッと来てしまった。「諦める」=「それだけ行きたい」ってのが目からうろこ。
どうでもいいことなら、すぐに行かないと決められる。それどころかまず、そんなことに目がつかない。
人に誘われて、興味ない上に、予定が入ってていけない。なんてこともあるけれど、それだと、諦めるっていうより、行かずに済んだって気持ちになるし、誘ってくれたのに申し訳ないな、と思う。
諦めるってのはそれに比べたら、気持ちの入りようがぜんぜん違う。
調べたら、元々仏教用語で「あきらかにする」という意味らしい。それが、理由をつまびらかにして納得して断念するという意味になったもよう。
(参考:諦める | 生活の中の仏教用語 | 読むページ | 大谷大学)
自分を納得させてるんだもの。納得させないといけないぐらいの思い入れなんだもの。そりゃ、並大抵では諦めちゃいけない。あとで後悔するなら、納得できてないってことなんだから、諦められてないんだ。
諦めなきゃなぁ。そう思うくらいなら、まずはなんとか実現できないか、を考えないと。