女性は老若問わず、子の有無を問わず、世の中の『母』なのです。
神の与え給うた『母なる力』とは、単純に子を産み、その子だけを慈しむことではありません。
世の中のすべて、周囲のすべての人に対して、『母の心』を発揮して、世の中を善に導く働きをすることです。
この『母の心』を、学ぶことによって磨き上げるのに、実際に子を産んだかどうかなどといった『生物学』的な問題は。些細な話です。
──(『広岡浅子 気高き生涯』より)
キリスト教の牧師・成瀬の言葉。女子教育に対する想い。
女性たちはみな、自分の子供の母になるために生きているのではなく、世の中の母になるために生きている。本著の主人公・広岡浅子の生き方が、まさにそれだ。嫁ぎ先である広岡の家のため、自分と同じように苦しむ女性のため、世間のために、浅子は走り続けた。
その姿に尊敬の年を抱くと同時に、少し怖気づいてしまう。何せ、自分は彼女のようにパワフルに動ける気がしない。なんたって、時代に名を残すような方だもの。
けれど、女性の生まれ持った性質を惜しげも無く発揮することは、きっと裏切らない。
女であること、男であること、それぞれにそれぞれなりのハンデがある。欠点ばかりみたってどうしようもない。そういう性質をどう活かすのか、それを考えていかないと。