人の長所を見ては、これを引き伸ばしてやるという立場に出なければ、とうてい「世の進歩」というものはない
ただ攻撃したり批評したりばかりしておっては、自らの徳を傷つけ、人を殺す殺人罪に当たるようになる(しかし、正当なる批評や堂々たる攻撃をやめよ、と言うではない)。
要するに私は、半分でも、あるいは三分の一でもその人の長所を認めたならば、これを守り立てて聖なる御用に捧げしめなければならないと、思っている。
──広岡浅子(『広岡浅子 気高き生涯』巻末付録『一週一信』抜粋 第二十六回 「青年牧師の努力と之が助成」より)
浅子さんのお言葉の超訳。
人の欠点についつい意識が無いてしまいます。ネガティブな情報の方が印象に残りやすいというから、それもまたある程度はしょうがないのかもしれないけどね。
私の場合、それが細かいし範囲が広い。重箱の隅をつつくように細かいことを、ちょっとすれ違うときにイラッとした人にまで文句をたれてしまう(心の中ね、さすがに)
よくないよくない。
どうしても、心がマイナスの印象を意識しやすいのは仕方がない。どうやら人間の脳はそんなふうにできているらしいから。だからこそ、余計と意識して人の長所に目を向けるようにしないといけない。マイナスは意識しなくても勝手に意識しちゃうから。もっともっとプラスを意識しないといけない。
去年の5月くらいから、毎日その日幸せだったことと、自分をほめられるようなことを日記に書いてるんだけど、全然思い浮かばないの。中々プラスに目が向いていないようだ。精進せねば。