私たちが心配でしている中身は、多くの場合とても複雑です。したがって、私たちは必要なたくさんの専門知識を、ひとつももっていないことがほとんどです。
しかし、心配なことを避けるのか、気にしないのか、敢えてやってみるのかなど、私たちは日々、否応なく選択を迫られます。間違った選択をしないためには、なるべく正しい知識があったほうがよさそうですが、一人でたくさんの専門知識を身につけるのは現実的ではありません。
──島崎敢(『心配学』より)
心配の種はそこかしこに転がっている。でも、それぞれの正しい知識を手に入れるには、分野の幅が広すぎる。
原発のことを知ろうとすれば化学の知識がいるだろうし、国の行末を思うなら政治の知識がいる。お金の不安には金融の知識がいる。そんなもんを全部全部一人で知るなんて土台無理な話だ。
だから、心配になってもやれることなんてない。なんて言うつもりはないし、知識を手に入れることはもちろん大切。
それでも、完璧にはできないから、その手に入れた曖昧な情報だけでどれだけ自分を納得させられるのか、どれだけリスクヘッジできるのか。
情報あふれて心配事の話もたくさん舞い込んでくるイマドキだからこそ、それと上手く付き合っていかんとダメですな。
2月の読書会のテーマ本でした。