僕は「イヤな気分」になることが嫌いではありません。むしろ、わりとスキ。いや、時と場合によっては大スキといっても過言ではありません。
イヤな気分になるということは、どこかで自分に深く関わっている。まったく何も関心がなく、自分と考え方が違うだけなら、イヤになる以前に、ただの「つまらないもの」としてスルーされるという成り行きです。
──楠木 建(「ハーバード・ビジネス・レビュー」より)
好きの反対は無関心、という話は結構有名ですよね。あとは、嫌よ嫌よも好きのうちとか。
いやね、嫌なもんは嫌だと思うですよね。その嫌なもの自体が本当は好きって話じゃなくて(いや、口では嫌と言っていて好きというツンデレもあるけど、ここでは置いとく)その嫌だと思う気持ちの裏に本当はこうあって欲しい、こういうのが好きが隠れてるんじゃないかな。
例えば、全然興味のない男から馴れ馴れしい連絡が来て嫌な気分になる。でも、ほんとに関心なかったらスルーすればいいだけで、イライラするってのは何がしか感情が揺さぶられたってことは間違いない。それは、本命の相手から連絡が来ない寂しさの裏返しだったり、自分はそんな風に馴れ馴れしくできないことによる嫉妬だったり。
てのを、今分析して思いました。あ、最近の実話です(笑)
無関心はどうにもできないけど、嫌ってのは感情の動きだから、それをしばらく経ってから分析してみると、その裏にある自分の好きとか欲求とかが見えてくることもありそうですよ。