叱責を含む「暴力」は、人間としての未熟さを露呈するコミュニケーションである。
あなたは未熟な人間を、「尊敬」することができますか? あるいは暴力的に威嚇してくる相手から、「尊敬」されていることを実感できますか? 怒りや暴力を伴うコミュニケーションには、尊敬が存在しない。それどころか軽蔑を招く。叱責が本質的な改善につながらないことは、自明の理なのです。
──哲人(『幸せになる勇気』より)
すぐに暴力を振りかざすような人を尊敬できないのは当然出来ないけど、叱責も実際に殴ったりするのと同じ暴力だってのは胸に刺さるね。
自分の中での理想があって、それに足りてない、もっと頑張れば足りるのにって思う誰かがいる。そういうとき、特に相手が自分より年上だと、ついキツくあたってしまう。私ここまでできてるよ、あなたの方が人生経験豊富なんだからできるでしょ、って感じでね。
でも、得意不得意はどうしてもあるし、能力の上下が存在するのも当たり前だ。今のままの相手をちゃんと見て、その上で冷静な言葉を投げかける。そういう尊敬されるような大人にならないとな。