終わりがあるからこそ、生きることが輝いて見えるのだろう。
恋には必ず終わりが来る。必ず終わるものと分かっていて、それでも人は恋をする。
それは生きることと同じなのかもしれない。必ず終わりが来る、そうと分かっていても人は生きる。恋がそうであるように、終わりがあるからこそ、生きることが輝いて見えるのだろう。
──主人公(僕)(『世界から猫が消えたなら』より)
最後の恋の終わりは、生きることの終わりと一緒に訪れるものだと思うんだけど、それは置いといて。
学生生活。大学に入学した頃には、それが終わるときなんて想像もしていなかった。知り合いのほとんどいない環境(同じ大学の知り合いは他学科に一人だけだった)。高校とは明らかに違う授業の様子。初めてのアルバイト。ただ目の前にあるやるべきこと、やりたいことをこなすだけで毎日いっぱいいっぱいだった。
いっぱいいっぱいだったからだろうか、それとも、1年の頃のほうが過去だからなのか、私の大学生活の記憶のほとんどは、就職活動を開始してからのものばかりだ。1、2年の頃に何をしていたのかはあまり思い出せない。
3年は就職活動と新しい出会いのラッシュの中過ぎていった。
4年、名残惜しむかのように遊びまくったし、バイトもしまくった。卒論のために、4年間で一番勉強した。
4年間は、私には長い期間だった。4年後のことを考えて何かをしようとは思えなかった。でも、1年後のことを考えると、急にいろんなことをするようになった。終わりが見えるとひとりでに体が動いた。
別に社会人になるのが嫌だったわけじゃないし、むしろ大歓迎だったけれど、それでも、最後はいろんなことが名残惜しかった。その分、いろんなことが濃厚だった。
社会人になると、終わりを意識することってどうしても減ってしまう。仕事勤めは約40年間で、仕事の区切りはなかなかつけにくい。
それでも、いつか終わりはやってくるものだから、それを意識しながら、毎日をすごしていかないとね。