現代社会に生きる僕たちが、何もしない、何も考えない時間をつくるのは案外難しいことです。
だからこそ、そんな時間をつくっていくことは大切です。興味があれば、まずはその成果などを期待しすぎずに、ただ体験してみればいいのではないのでしょうか。
雑念だらけなら、「自分は雑念だらけだ」と感じるだけでいい。それが、自分自身を見つめているということなのだと思います。
──若新雄純(「プレジデントオンライン」より)
敢えて作ろうとしないと、何も考えない時間ってできないんですよね。
私、だいたい家にいるときはテレビつけてる感じなんだけど、最近考え事が多いからか、テレビが雑音に感じることが増えた。それで、テレビ消しても、何も考えない時間にはならないんだけどね。手作業で何か動いてるとか、頭の中は翌日の予定でいっぱいだとか。
やりたいことはいっぱいで、考え事もいっぱいで、とても何もしない、何も考えないなんて時間は作れそうもない。というか、その時間がもったいないって思っちゃう。
でも、一瞬の「無」って思っている以上に大事なんだろうな。
仕事でマルチタスクでガンガン進んでると、忙しなく動くことが普通になるけど、やっぱり体は疲れてくる。そんなときに、何も考えない時間を作ると、フッと余裕ができて新しいものが浮かんでくることがある。
焦っているとき、忙しいときほど、そんな無の時間を大切にしないといけないのかもしれない。
まぁ、無になろうとして、雑念ばっかりっていうのが、毎度のことにはなりそうだけど(笑)
創造的脱力 かたい社会に変化をつくる、ゆるいコミュニケーション論 (光文社新書)
- 作者: 若新雄純
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