不合理には、表があれば裏もある。そして、その裏面は、実はけっこうありがたいものなのだ。
わたしたちは不合理だからこそ、新しい環境に順応し、他人を信頼し、進んで努力を払い、子どもを愛することができる。こういった能力は、わたしたち人間のすばらしい、驚くべき、生まれながらの、それでいて不合理な本質と、表裏一体をなしている。
──ダン・アリエリー(『不合理だからうまくいく』より)
序章より。
不合理がありがたいの詳細は、明日以降の紹介で語らせてもらうので、今日はばっくり大枠な感じで。
人間みんなが不合理なのだとすれば、合理的な人間とは一体どんな感じになるのだろう。きっと、真に合理的な人間を表すとすれば、それはロボットになってしまう。理性ではこうしたほうがいい、と思っても、なぜかそれとは別の行動をしてしまうのが、人なんだから、機械仕掛けのロボットでないと、本当に合理的には動けないんじゃないかな。
仕事や勉強で上手くいくことを考えると、合理的な方が都合がいいのかもしれない。理論的にこうしたほうがいい、ってのがあるのに、そうは行動できないってのが多いから。でも、行動できないのが普通でそれを無理してやっても続かないし、周りにそれを強要できない。不合理なのが当たり前なんだから。
だから、ただただ諦めろってわけじゃなくて、自分たちは不合理なんだな、って認めた上で、どう上手くそれと付き合っていくのか、それを考えるのが人間の面白味なんじゃないですかね。
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僕は進む。それで僕を失うとしても。この誓いを失うよりはいい。
いつか僕の歩いた道が誰かの糧となって、この戦争が終わる日へと続いていくかもしれない。だから僕は僕のすべてを懸けて立ち止まりません。
──アレン・ウォーカー(『D.Gray-man 25』より)
自分が立てた理想の道。それがきっと世界の理想に繋がっていると信じて、たとえ自分の存在が消えようとも、それを貫こうとする姿勢。
現実世界じゃ有り得ない展開だけれど、自己を捨てて他に尽くす。理想に尽くす。って意味だと実際にやってる人いるよね。めちゃくちゃ難しいし、口先だけで言っても偽善者って思われるだけだけど。
そんな聖人君子みたいなこと私はできないけれど、自分が思い描いた夢とか理想とかのために、一時的に自分の欲求を捨てるってのは、必要なことなんだよなぁ。だらけたい。寝ていたい。こんなしんどいことやりたくない。こんな感情にたまには蓋をしないと、全然前に進めない。
ちょっと今、進みたい方向を見失い気味なので、まっすぐにこの道を行く!っていう意志が余計と身にしみた次第。
終わってしまったことを、くどくど言うのはよくありません。
目的を果たすまでは、諦めることなく、執念をもって「くどくど」いきましょう。しかし終わってしまってからは「さばさば」しましょう。また同じことがあれば、終わるまで「くどくど」やればいいからです。
「良いくどい人」をめざし、「悪いくどい人」にならないようにしたいものですね。
──横山信弘(「Yahooニュース」より)
昔っから悪いくどい人っていう自覚はあるんです(おい)
まぁ、それも親に同じ文句を何度も言うなって言われたからなんですけどね。
よいくどさにもあるけれど、悪いくどさが出るときのほうが、感情が乗っちゃってるから、余計とくどくどしちゃうんですよね。そこまで自覚してるけど、辞められないのが辛いところなんですが(しょんぼり)
とはいえ、受け手側の目線に立てば、もはやどうしようもないことを何度も何度もくどくど言われりゃ、そりゃあ、癇に障るというものですよね。
終わったものは終わったもの。次の手をうつことを考える。そして、それが実行されるようにくどくど言い始める。そしたら、良いくどい人になれるんですかね。
まだ、なんかちょっと微妙な気もするけど。これが今の私の精一杯(笑)
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やっぱり何か感じることがあったら、何かを手放してもやってみたほうがいいと思っています。
安定とか安全を求めることは誰にとっても自然なことだと思います。ただ、安定とか安全は、結果的に危険な道にいくことがある。安定や安全を求め過ぎて何も手放さないと、どんどん行き詰った道にはまっていってしまうと思います。
(中略)
そもそも絶対に安全な場所なんてないんだから、知らない場所に行っていろんな人に会って、そこから学んで、少しでも自分が生き残れる力を身につけておきたいと思っているんです。
思う存分やってみたいことに出会うのは難しい。四半世紀以上生きてるけれど、人生かけたいレベルでやりたいことに出会った記憶はない。別にやりたいことが全くないわけじゃないけどね。
とはいえ、それが安全な場所にいたいがためのブレーキがあるせいかも、と言われるとそうかもしれない。それぐらいの感じで自分の欲求に鈍感な気もする。心の動きってふわふわと捉えどころがないから、自分でもよくわからない。
年齢的に、仕事でどんな方向に進むのかみたいなことを考える機会と聞かれる機会が増えてきて、そのたびに何がやりたいんかなぁ、って考えるんやけども、なかなかまとまるもんでもない。
言われたことやってるだけじゃどうにもならなくなってくるのは分かってるんだけど、打開策を考えるのも難しい。
個人的には、ちょっとした心の動きに敏感になって、それに従って動くしかないって思うんだけど、その動きを捉えるのも、難しいもんなんだよな。手詰まり感。
彼らが失敗というものに圧倒的に慣れていないからだ。失敗は成功のもとといつも考えられる人はまだまだ少なく、失敗に対する世間のイメージは依然として悪だ。
学生のときは失敗に臆病でもやってこれたかもしれないが、ビジネスの現場へ出るのであればその考えを変えないといけない。ビジネスで求められるのは打率ではなく、ヒットの数だ。打率5割の優等生が1回打席に立つ間に、打率1割の凡人が100回打席に立てば、10倍勝つことができる。だが、これも言葉では理解できるが、そう簡単には動けないものだ。
──柊ユウ(id:pjomotesando)(「PJ表参道」より)
どうにも失敗してしまえばそれで終わりっていう感覚が拭い去れない。
一度の失敗ぐらい、その瞬間笑いものになったり、ちょっとガッカリされたりするぐらいで、広い目で見れば大したことないのにね。もちろん、一か八かで失敗したら終わり、っていうチャンスもあるけれど。でも、それも現代日本でだったら、死ぬわけじゃあるまいし(笑)
と、理論的に考えたらわかるのに、行動に移す時には尻込みしちゃうってどうしようもない。理性と感情ってどうにも別なんだよなぁと、自覚せざるをえないよね。まぁ、だからナンパしろって言われても、まずナンパするのに必要な勇気が足りないって人が多いと思う。
とはいえ、それではいつまで経っても変わらないから、なんでもいいから失敗を恐れてやりたくないことを一つ、やらざるをえない状況に追い込まれて見るのもありかもしれない。
私は先日、集客して開催する系の飲み会の幹事を初めてやって、人数調整とかやっぱり上手くいかなかったけど、おかげで人数決まってる系の飲み会幹事は結構余裕な気分になってる。やらざるをえなかったから、やっただけなんだけどね、どっちも。
要は経験なので、逃げてばかりいないで、失敗しても痛手の少ない時にやってみるのはいいですよ、ほんとに。