一部の天才は、技を体に通していくその過程をそもそも「努力」と認識していない。
天才の本質とは、その精神性そのものにあるのだと思う。
技を窮めるには努力が要る。その多くは苦痛をともない、だからこそ努力に対する自負が自信となる。武術の修行は単に技を修めるだけではなく、流儀の秘奥に辿り着くまでの道で心をも鍛えるものだ。少なくとも、非才の方助はそう思っている。──月叢方助(『サムライ・オーヴァドライブ』より)
剣の世界なんて遠いかなたでなくても、「天才」と呼ばれる人たちは、結構存在する。そういう人たちにコツを聞いてもちっともわからないんだよね。彼らにとっては、ただ当たり前のことをやっているだけなんだから。こっちからしたら、何をしているのかもわからないようなスゴイことをしてるのに。
だから、個人的には天才に上達のコツを聞くのは間違っていると思っている。師匠に向いているのは、努力を重ねて道を極めた「秀才」だ。始めから上手かった訳じゃない人たちのアドバイスは、自分の通ってきた道を見せてくれるから、何しか自分の道にも重なる部分があるように見える。同じ道を通るかは自分で決めるしかないけどね。
逆に教える側になったときに、自分が苦もなくこなせる部分を教えるのはめちゃくちゃ難しい。なんたって、他人にとって難しいってことがそもそも理解できないんだから。
何事にも得意不得意がある。たまたま自分がそれを得意だっただけ。何もかもを当然のことだと思わずに、内省してちゃんと教えられる人になる。自分が成長するのと同じくらい、がんばらんといけないですな。そろそろ年齢的にも(笑)