いちまんのいいことば

すてきなことばあつめました

あなたは、いったいどれほどのお金があれば、満足するだろうか?(中略)面白いのは、年収が300万円の人も、1000万円の人も、5000万円の人も、答えは「2倍」なのだ。

報酬に満足するかどうかの根底にあるのは、使命感を持てる仕事に出合えるかどうかであり、使命感がともなわない仕事は、どんなに報酬が高くても、決して満足が得られない。
その満たされない部分を金銭的に埋めようとするから、いつも「倍の年収があれば……」と考えてしまうのである。

 

──神田昌典(「ダイヤモンド・オンライン」より)

 

満足感はお金では買えない。いや、買える満足感もあるのかもしれないけども。

確かに、「あ、この仕事充実してる」ってときは、報酬が高いというよりも仕事自体に楽しみを持ててるのが根底にある気がする。

逆にこの仕事、金払いがいいから嬉しいと思いつつも、仕事に楽しみがないと、確かに報酬は適正なんだけど、精神的な疲労考えるともっと欲しい!って思っちゃったり。

少なくとも日本で生きてくためにはお金が絶対に必要で、そのためには何がしかで金を稼ぐ手段が必要。でも、それがつまらないものだったら、人生の大半にかけてるものがつまらなかったら、金の方でなんとかバランスを取りたくなるのも、仕方ないのかもしれない。

ま、だからって、使命感を抱くようなピッタリの仕事はそうそう見つかるもんでもないから、とりあえず目の前の仕事を懸命にこなすしかないんだけどね。

 

 

稼ぐ言葉の法則――「新・PASONAの法則」と売れる公式41

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パリという街では「十人十色」どころか、生きている人の数だけいろんな生き方がある

パリには「婚活」なんて言葉もなければ、「婚活をしている」という人に出会ったこともありません。

この時まで「なにがなんでも結婚しなきゃ」と思っていた私は、こんな風に女性としての生き方の正解がひとつではなく、いくつもあることを目の当たりにして、すーっと気持ちが楽になりました。

 

──中村綾花(「cakes」より)

 

ほんとはパリの街だけじゃなくて、日本だって「生きている人の数だけいろんな生き方」があるはずなんだけどね。そうは見えなくて、結婚して子どもがいて専業主婦とか、結婚して子どももいるのに仕事も頑張ってるとか、結婚せずにバリキャリ(これすらまだまだ少数派かしら)とか、ある程度の種類に分類されてしまいがちなのは何なのか。まぁ、日本人は右にならえが性分だから、どうしても多数派の生き方に流されやすいんかね。

私個人のスタンスとしては、いつか結婚はしたい(独り身で余生を過ごしたくない)けど、子どもはいてもいなくてもどっちでもいい。でも、子ども産めない(生物学的に)な年齢になると、どうしても子供欲しい男性からは結婚相手として見られる確率が下がるから、そこそこの年齢までに結婚したほうがいいんかね。というところ。

でも、ほんとはそう思ってても、そう割り切れない部分はやっぱりあって、周りの友達が結婚したり、友達どころか後輩が先に結婚したりすると、焦る気持ちがないと言えば嘘になる。最悪一人で一生を終えても、まぁ、楽しくやれそうだとも思うんだけど、やっぱりなんだか負け組な気がするのは、これが正解って生き方に見えるからなんだろうね、結婚して子ども産むってのが。

その辺、理性で割り切れる部分と、そうは言ってもな感情面が喧嘩するからどうしようもなくて、それでも、「何を選んでも他人にぐだぐだ言われる筋合いはない」っていう思いを頭の片隅に意識するだけで、変わるものはあるんじゃないのかな。

 

 

世界婚活 (ideaink 〈アイデアインク〉)

世界婚活 (ideaink 〈アイデアインク〉)

 

パリでは婚活ないみたいだけど、結婚したい人同士が出会う機会を積極的に作っていくって意味では、有りだと思うんだよね。年齢的義務に感じちゃうとアレだけど。

 

真剣に、すべてをなげうってでも、戦う決意。

 その有無が、戦いに至るまでの過程で様々な蓄積の差を生み、戦闘のあらゆる場面、特に窮地においてほんの少しずつでも作用し、結果として勝敗にすら少なからぬ影響を与える。(中略)言ってしまえば、「心構え」の強固さにおいて、彼らに遅れを取ってはいなかっただろうか。なまじ強い力を誇るが故に、「必死さ」で彼らに及ばず、結果敗北を喫したのだとすれば……これほどむかつくことはない。

 

──鏡伶路(『東京レイヴンズ (14)』より)

 

生死をかけた戦闘なんて、現実世界ではないんだけど、「戦い」「戦闘」を「仕事」「夢」あたりに置き換えると現実でも当てはまるのかな。あ、「遊び」ってのもありか。

フィクションでは、何もかもに真面目なことって、美徳でありながら、ちょっととっつきにくい人間として描かれることが多い。ま、現実もおんなじか。たまには力を抜けよ、って話になるし。

けれど、なんにせよ、真剣に取り組んでいる人は強い。その分、考えることも多いし、ほんのちょっとの差で成功するしないが左右される瞬間、真面目に真剣にやってた人と、そうじゃない人ってことが命運を分けることだってきっとある。

いつもいつまでも何にでも真剣なのは、さすがにしんどいけれど、ここぞ、って時には、真剣さを発揮するのが、「できる」大人ってやつなのかもね(笑)

 

 

他人に正解を求めるから……自分で考えて動いていないから、いざというときそんな風にみっともなく取り乱すんだ。

他人に正解を求めるから……自分で考えて動いていないから、いざというときそんな風にみっともなく取り乱すんだ。

 

──宮地磐夫(『東京レイヴンズ (14)』より)

 

裏切り者の上司から部下への台詞ってところですかね、まとめると。

 

自分の意志で動くって難しい。特に部下側だと、単独行動し過ぎると上司にたしなめられるし、やらないのもそれはそれで埋もれてしまう。その匙加減が難しい。まぁ、すべて丸っと無視して上司を飛び越えるのは、ありっちゃありだけど、よっぽどの自信が必要だよね。

基本的に仕事はチームワークだし、まだポジション的には若手だから、自分の上にリーダーがいることばかりで、そうなるとリーダーの思い描く方向性に沿うように動こうとする。リーダーが正解を握ってるかのように捉えてしまう。

でも、いつまでもそれじゃあいけないんだよねぇ。そりゃ、経験で勝るリーダーとか上司とかをすぐに飛び越えるのは難しいけれど、自分なりに思い描く理想とか、仕事の動かし方とか、自分を出していける部分は絶対にあるはずだから。それをちょっとずつでも発揮しないと、人生を揺るがすような何かが起きた時でさえ、他人任せになってしまうかもしれない。

そんなのきっと楽しくない。自分で動かすからこそ、何もかも楽しいに決まってるんだから。

 

 

安心するために人はものをもちます

ブランドものには、ステイタスまであるのですから強い安心感を得ることができ、その分高いお金を払っても納得できるんです。しかし、安心感を与えてくれるものに依存すればするほど不安にもなるんです。

 捨てるも捨てないも、もつももたないも、どちら強迫観念ですから表裏の関係で同じことです。

 

──中崎タツヤ(『もたない男』より)

 

モデルルームみたいにモノの少ない部屋を見ると羨ましくなる。自分の家もそれくらいスッキリしたいと思う。その反面、いざ捨てようと思うと、これはまだ使える。まだ全然使ってない。使うかもしれない。などと言い訳をつけてちっとも捨てられない。

私はまだモノを捨てる方だと思ってるんだけど、それでも何年もホッチキスの替え針を持ち続けていたり、使わない消しゴムが引き出しに眠っていたりする。

年数回しか使わないものでも、持っているつもりでいざ使おうとしてない不安に怯えてしまうのだ。

それが悪いことだとは思わないけれど、それならモノの少ない理想の部屋は諦めないと。それか、モノを置いたままでいかにそれっぽく見せるかの工夫に走るか(笑)

モノがあることで安心感を得たいのか、それは不必要なのかは人による。人によるけれど、あんまり一つのモノ(人も)に依存するのはよろしくないから、全部ほどほどにしないといかんですなぁ。

 

もたない男 (新潮文庫)

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