いちまんのいいことば

すてきなことばあつめました

わたしたちはみな、たったひとりでこの世界に存在している。

それぞれが真鍮の塔に閉じこもり、合図によってのみ仲間と意思を通わせることができる。すべての合図が固有の価値観を持っているので、他人の感覚は漠然として捉えどころがない。わたしたちは、心にしまった大切な思いを伝えようと悲しいほどに骨を折る。だが、相手にはそれを受け取る能力がない。だからわたしたちはいつまでも孤独で、相手がすぐそばにいながらひとつになれず、相手を理解することも自分を理解してもらうこともできずにいる。

 

──わたし(『月と六ペンス』より)

 

中年になってから画家を志した男、ストリックランドが、パリからマルセイユに移る前に初めて自ら絵を見せてくれた。そのときに「わたし」のが考えたこと。

真鍮の塔がひしめき合い、その持ち主の意志で自由に世界を闊歩する。動くことはいくらでもできるのに、隣の塔の主人と意思疎通するには、互いにルールの違う合図をし合っていて、どうにも思ったように伝わらない。そんな寂しい情景が浮かんでくるような言葉だ。

 

一番長く一緒にいた親兄弟ですら、意思疎通がままならないことがあるし、初めて出会った相手なんて、話す言葉は同じでも、ちっとも思ってることが伝わらないなんてことも多い。

夫婦になって長くなれば考えが似てくるなんて言葉もあるけれど、やっぱり夫と妻は別の人間だから、考えが噛み合わなくて喧嘩してしまうことだって当たり前だ。

人と人は一生、本当の意味では分かり合うことができない。そう伝えるこの言葉は、なんだか切ないけれど、だからこそ、伝える努力を怠ってはいけない、そう忠告しているようにも見える。

 

月と六ペンス (新潮文庫)

月と六ペンス (新潮文庫)